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zoom RSS 慶應大学生の情死未遂。死に切れず岸にて女を人工呼吸(大正6年の大磯町字北下町海岸)

<<   作成日時 : 2008/10/07 17:37   >>

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東京朝日新聞 大正6年1917年)7月3日 火曜日 へ 5面

慶應大学生の情死未遂

死に切れず岸にて女を人工呼吸


2日 午前1時頃

大磯町 字北下町 海岸を

同町 字山王の S藤 丈太郎が 逍遥中

波打際に女持の洋傘と 男の薩摩下駄の脱ぎ捨てあるを発見

直に大磯署に訴え

同署より 佐々木巡査 出張 取調べしに

現場より約1丁西方の波打際に

濡鼠となりて這ひ上り居る男女ありしかば

直に同署に連行 取調べしに

男は東京市 浅草区 象潟町、 伊三郎 長男

慶應大学 本科1年生 K取 象三郎(23)(満21〜22歳



女は 芝区 本芝 1丁目 3 芸者屋 春竹家 抱芸者 梅子 事

東京市 本区 所横網町 2丁目 秀の養女 T橋 よし子(20)(満18〜19歳)とて

両人は 去(さる)5月中より 馴染を重ねたるも

近来 男が金(かね)に困り

思う様に会はれぬより

両人は 1日夜 共に手を携えて 大磯に来たり

同夜 女の細帯にて 互に 身体を結び付け

投身自殺を企てしも

男は遊泳の心得あるより

浮び上りて 死に切れず

其内(そのうち) 女は水を呑()みて 殆ど人事不省に陥り

苦悶し始めたれば

男は其(その)苦しみを見るに忍びず

遂に其儘(そのまま)波打際に這い上り

自ら人工呼吸を施し女を蘇生せしめたるものと判明せり

大磯電話


学生の情死位は問題でない

恐るべきは学生の糞勉強だ

=澤柳文学博士談


時代の感化か、風紀の退廃か

先に高師学生の情死事件あつて以来

近時 学生界に情死 又は 自殺などの不祥事が頻発する。


右に就き 文学博士 澤柳 政太郎 氏は語る。

近頃の新聞には

学生の情死などの記事が眼に付くが

特別に斯かる事件が殖えたとか

又は 然()う云()ふ風潮が特にあるとは認められない。

新聞に現れる斯(か)かる出来事は

波に譬(たと)ふれば

岩に激して 砕けた萬波の一に過ぎない。

夫(それ)を以て直に学生界の潮流とするのは早計だ。

夫(それ)よりは今日学生界の悪風潮と云()へば

一般学生が勉強し過ぎる傾向で

其(その)結果として

少年や青年に必要な自然なのんびりした発育を害し

果(はて)は健康を損ね神経過敏になつたりする事だ。

而(しか)も、以前は私立学校の生徒と云()へば

余り勉強などしなかつたものだが

今日では非常に勉強をする様になつた。

其(その)原因は生存競争が激烈で

生活問題までが直接、学生の頭に響いて来たのだ。

情死や自殺するのは、学生界から云()ふと

百人に一人か 千人に一人もあるかないかの出来事で

学生一般から云()へば

斯()かる放蕩児は寧(むし)ろ稀有な事で

左程(さほど) 心配するに及ばない。

即ち、学生全体に堕落の傾向があるのではない。

夫(それ)よりは眼に見えない学生の糞勉強と云()ふ

大きな潮流の襲来が最も憂う可()きである。

小学から中学に入らんとする競争が

少年の頭を悩ます事は想像以外で

更に中学から専門学校に転ずるのは更に甚だしい。

甚だしいよりは悲惨、又は、残酷と評すべきである。


此(この)学生界の不祥事たる大潮流を防ぐには

第一に学校の設備を増加せねばならぬ

夫()れには金(かね)が必要だ。






↑ 文学博士の談話が載っているので、今回は、可能な限り、原記事の表記のまま入力した。というわけで、歴史的仮名遣いは、現代仮名遣いに直さなかった。振り仮名については、読みにくいので、かなり、省略したが、わかりにくい箇所は入力した。もっとも、入力の方法は少し変えたが。句読点は変更した箇所がある。かぎ括弧も変更した箇所がある。苗字はぼかした箇所がある。イメージしやすいように、推定される満年齢を付け加えた。国立国会図書館関西館で入手したもの。著作権の保護期間が満了しているので転載自由とする。はIMEパッドにない漢字だったので、新聞記事の振り仮名の『の』を参考に入力した漢字である。右に就きは原記事が縦書きだったための表現である。
イメージしやすいように、現在の慶應義塾大学の地図を載せた。

小学から中学に入らんとする競争が

少年の頭を悩ます事は想像以外で

更に中学から専門学校に転ずるのは更に甚だしい。

甚だしいよりは悲惨、又は、残酷と評すべきである。


と記載されている。

それを読んで、大正6年(1917年)頃の小学生の中学校入学のための受験勉強

中学生の専門学校入学のための受験勉強が

寝不足になるようなものだったと誤解する人がいるかもしれないので補足する。

昭和34年頃の高校生の東京大学入学のための受験勉強でさえ、寝不足になるようなものではなかった。

したがって、この時代の受験勉強も、寝不足になるようなものではなかった可能性が高い。

実際、上記新聞記事でも、澤柳文学博士は、そのようなことは一言も言っていない。






教育改革の幻想

著者:苅谷剛彦。発行所:株式会社 筑摩書房。2002年1月20日第1刷発行。2004年4月10日第8刷発行。ちくま新書329 ISBN:4480059296)p 111の

表14 1〜2月における大学入学生の睡眠時間の長さ

(←昭和34年度新入生について、昭和34年4月に調査したもの)によれば、

東大のストレート入学者の1〜2月における睡眠時間の長さの平均値は8.21時間である。

 また、同書p 110には

 
1959年5月に全国30大学60学部の入学生3095人に対して行った水野氏の調査によれば、

表14・15に示すように(←ここでは、割愛する)、

受験生時代の睡眠時間は、意外と十分あること

1−2月の受験直前の時期でも8時間前後)、

受験生は健康にも留意していること、

図15・16より(←ここでは、割愛する)、

志望校の決定の時期

3年生の夏休み前=東大、他の大学はもっと遅く冬休み前が最大値)や

受験勉強開始の時期(3年生の夏休み前が最大値)が

意外と遅いことなどが示された。


と記載してある。

 したがって、昭和28年は昭和34年よりほんの6年前であることから考えると、

昭和28年当時の一流大学合格者の睡眠時間も8時間前後であったと、

私は推定している。

つまり、当時の一流大学合格者は寝不足で勉強していたわけではない と推定される。


 なお、原資料は、

水野忠文「受験生の健康をめぐる問題」『教育の時代』東洋館出版社、1963年昭和38年)3月号「特集 入学試験」』

であるらしい。

ちなみに、水野忠文氏は、当時、東京大学教育学部の健康教育学の教授であったらしい。






http://supplementary.at.webry.info/200704/article_7.html





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