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zoom RSS 国立高ナイン “都立の星”明暗分けて 昭和56年

<<   作成日時 : 2014/05/24 23:15   >>

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1980年(昭和55年)8月、夏の甲子園に東京都立国立高校が出場した。

2014年5月24日時点で、これが最初で最後の東京都立国立高校の甲子園出場だった。

そして、東京都立国立高校は、一回戦で、箕島高校に5対0で負けた。

このときの甲子園球場には、異様な雰囲気が漂っていたらしい。

球場全体を敵に回したチーム 〜1980年 駒大高の悲劇〜
http://park21.wakwak.com/~djruien/kunitachi80.htm
によれば、当時の新聞には
判官びいきのスタンド
勝負にこだわらぬ相手
「二度と対戦したくない」箕島 宮本投手

 有本のバットをカーブで空を切らせ、九回のピンチもかわした箕島の主将宮本は「二度と国立とはやりたくない」としみじみ思ったそうだ。・・・中略・・・
普通のチームと違うんです。試合前といえば、ぼくを含めてだれもが緊張して顔がひきつるようになるのに、国立はすごくリラックスして、これから試合するってムードではないんですやりにくいなあ。調子狂ってしまう」。ベンチ入りする前に、宮本は首をかしげていた。
判官びいきのスタンドと、勝負へのこだわりがない相手。宮本は外野手として前年の優勝に貢献し、投手に転向したのは昨秋からである。・・・後略・・・

と書いてあったそうである。


おそらく、国立高校野球部は甲子園に出場しただけで満足していたのだろう。

現役のときは、国立高校の野球部員のうち5人が東大理科T類を受験した。

3年生の野球部員を基準にして考えている。

その5人は、浅川岳夫氏(外野手。甲子園のときは、ベンチにいた)、市川武史氏(投手)、川幡卓也氏(捕手)、岩村太郎氏(遊撃手)、三年生でただ一人ベンチ入りできずスタンドにいた内野手である。


毎日新聞に実名で出てきた5人のうち、インターネットで検索して実名で出てきた4人だけ実名のままにした。
三年生でただ一人ベンチ入りできずスタンドにいた内野手は、インターネットで検索しても出てこなかったので、実名では入力しなかった。


1981年(昭和56年)3月20日、東大の合格発表があった。

現役合格したのは、浅川岳夫氏(外野手。甲子園のときは、ベンチにいた)だけだった。

ちなみに、この年の東大では、合格者の56.3%が現役だった。


毎日新聞(夕刊) 東京版 1981年(昭和56年)3月20日金曜日 社会 4版 11面
東大など合格発表
国立校ナイン
都立の星明暗分けて 

 国立大学の二次試験合格者発表が20日、宮城教育大、筑波大、東大、東工大、東京芸術大、一橋大の六大学で行われ、この日で国立92大学の合格者が決まった。

また福島県立大、横浜市大など公立五大学でも合格者発表が行われ入試シーズンは幕を閉じた。

 この日、東大本郷キャンパスでは正午過ぎ、三四郎池と付属図書館の間に合格者3075人(うち女子230人)の名前が張り出された。

現役組がまた進出

 合格者の内訳は現役が56.3%(昨年55.7%)、一浪は35.6%(同35.9%)、二浪5.9%(同6.5%)、三浪以上2.2%(同1.9%)。

現役合格率は54年が55.2%、53年は55.1%だったが、今年は昨年に引き続きさらに“現役有利”の結果となった。

 地域別では東京32.2%、東京を除く関東が15.5%と昨年とほとんど同じだったのに対し、近畿地方出身者が14.4%と、昨年よりも2%以上増えている。

 掲示板の近くには約20台の特設電話が並び、自宅に合否を連絡する人たちの長い列。

その横では、思わず跳び上がって喜ぶ男子受験生や数人で「万歳」を繰り返すグループの姿も見られた。

 昨年夏の甲子園にさわやかな“国立フィーバー”をまき起こした東京都立国立高校野球部員も5人が東大理科T類を受験したが、ベンチで仲間を励まし続けた浅川岳夫君(外野手)が合格。

全国の野球ファンをわかせた小さな大投手、市川武史君と捕手、川幡卓也君のバッテリーと遊撃手の岩村太郎君、それに三年生でただ一人ベンチ入り出来ず、スタンドから声援を送ったA君(内野手)は残念ながら不合格だった。


改行、句読点、括弧、文字の大きさ、色、太さは読みやすいように改変した箇所がある。漢数字を洋数字に改変した箇所がある。三年生でただ一人ベンチ入りできずスタンドにいた内野手は、新聞記事には実名で書かれていたが、インターネットで検索しても出てこなかったので、実名では入力しなかった。その他は、原記事通りに入力した。

画像


当時の新聞記事
ただし、三年生でただ一人ベンチ入りできずスタンドにいた内野手の実名は消した。
写真のところには
胴上げで合格を喜ぶ受験生=東大本郷で、20日正午

と書かれている。

東京大学運動会硬式野球部」のWikipediaには

昭和55年夏の甲子園大会出場経験者の入部として
浅川岳夫
市川武史
川幡卓也
布施英一

が書かれていて、彼らは全員が国立高校から甲子園大会に出場したことも書かれている。

したがって、市川武史氏(投手)、川幡卓也氏(捕手)は、浪人で東大に合格したことがわかる。

布施英一 氏は、現役のときは、東大を受験していなかったが、浪人で東大を受験して合格したのかもしれない。

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推察で書かれた最後の一文は違っています。
布施英一 氏は、甲子園出場当時、まだ2年生で他の3人の1学年後輩だったのですよ。
元国高生
2015/07/31 20:03

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