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zoom RSS 明治時代末期〜大正時代前半の大学の教科書としてのマーシャルの『経済原論』

<<   作成日時 : 2015/01/20 18:32   >>

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自序

 余が初めて米大陸の土を踏んだのは、遠い明治38年の事で、その時は滞留1箇年余にして一旦帰朝したが、超えて明治42年に再び渡航してから、大正6年春三度祖国の山河に見へるまで、前後10年の歳月を彼地に送つた。

 たゞに滞留の年月が長いと云ふばかりではない。

余はこの間に於て、出来るだけ広く、出来るだけ深く、米国及米国人と云ふものを知らうと努めた。

学校としては中部でオハイオ州立、東部でイエールの両大学を卒業したが、特に米人の生活の真相に触れたい為めに、単なる下宿屋住居や、一般の留学生的色彩から離れて、主として中流以上の家庭に入り、寧ろその准家族と云ふやうな立場から、全く彼等と同一の生活をした。

また偶大学の寄宿舎等に在つた場合でも、そのルームメイトに多くは日本人同志を選ぶのに反し、余は殊更ら米人を選み、一般の交友にしても、日本人同志のグループよりも進んで米人の仲間に入つて、彼等と全く同一の生活をして彼等の人情や風俗を知る事に努力した。

一たい一口に米国へ行つて来たと云つても、たゞ通り縋りの見聞や儀礼一片の応酬ぐらゐに止まる単純な旅客もある。

よし又長く滞留してゐたと云つても、紐育のやうな大都市の下宿屋生活や、太平洋沿岸に於ける所謂移民のグループ等に介在してゐた者には、彼国人に接触する機会も少なく、且つ極めて表面的である。

この点では、余は米人の真相及び其生活の内容を、かなり深く理解してゐると信じてゐる。

 本書は、余が如上の経験を土台として書いた、謂はゞ追憶談のやうなものであるけれど、編むに当つては多少の要意がないでもない。

今、米国に関する各種の著書を見るに、政治とか教育とか云ふ特殊の問題に付て、専門的に論議したものや、見聞を土台とした印象記のやうなものは大分あるが、それ等は何れかと云ふと、概括的であり、主観的批判に走り易くて、その真相に触れ、乃至その真実を知ると云ふ点では、ともすると内容の乏しい憾みがないでもない。

そこで本書では、米人の日常生活を、一般的に知らしめやうと心がけた。

凡そ其の国家を知るには、先づその生活を知らねばならぬ。

生活を知らうとするには、家庭の食卓の有様や、一寸散歩に出る時の様子など、零細の点まで知る必要がある。

概括的の説明より、さうした日常瑣末の実際に触れた事の方が、却つて真の理解を得る事が多いものである。

 今や米国は、世界文明の中心と目され、殊に国交上からも、日本国民としては彼国を理解しておく事は、最も急務である。

米人は一般によく日本及び日本人を研究することに努めてゐるに反し、割合に日本人が米国人を研究する事の薄いのを、余は平素から遺憾に思つてゐた。

この考へを以て余は在米中彼等のライフに触れた写真を何千枚と云ふ程多く撮影した、本書に収したものはその一部分であるが、記事と相俟つて米国及び米人を知る一助となることを得ば、余にとつて此の上無き幸ひである。

 一言断つておきたいのは、本書には比較的向ふの長所を挙げるに対して、自国の欠点を突込んだ所が多い。

これは余自身としても決して本意ではない。

日本にも必ずしも長所が無いではないと等しく、彼国にも欠点がないとは云はれぬ。

然るに多く向ふの長所に対比するにこちらの欠点を以てしたのは、それに以て学ぶ所、得る所を多からしめやうと心がけたに外ならぬ。

この点は読者の諒解を望みたい。

 それから編述の便宜上、家庭生活、都市生活などの各項に分類した。

然し之は厳密の意味ではない。

都市生活の中にも、家庭に関した事もあらう。

大学生活の中に、都市生活に共通のものもあらう。

要するに比較的その項に関係深いものを分類したに過ぎない。

それから大学生活をはじめに置いたのは、余の米国に於ける生活が学生としてゞあつたからである。

その事も読者の諒解を得ておきたい。

 なほ終に臨んで、本書の為めに御懇切なる序文を賜はつた、日米協会々長長金子子爵と石渡法学博士との御好意に対しては、余の深く御礼を申し上げる。

また本書の編述に就ては、日本大学校友山内秋生君の援助を受けたことが尠くない。

併せて感謝の意を表しておく。

大正9年9月 川口義久


アメリカ生活』(川口義久。太田書店。大正9年)p 1〜4
ブログなので読みやすいように改行を頻繁にした。
句読点などの誤植があるが、そのまま入力した。
漢字は、今の漢字に直した箇所がある。ブログは横書きなので漢数字を算用数字に直したところがある。


明治42年=1909年

大正6年=1915年






】教授法と研究

 日本の大学では、多く教師の講義(Lecture)を筆記するのであるが、米国では、これはごく稀で、大ていは教科書を用ゐてゐる。

それも日本よりは簡易なもので、また新しいのが出来れば、ドシドシ改めて行く。

例えば彼のマーシヤルの「経済原論」などは、日本の某大学では使つてゐるが、あちらで聞いてみると、参考書としては良いが、教科書としてはあまりにむづかし過ぎると云つてゐた。


 かう云ふと、米国の大学は、大変に程度が低いようであるが、決してさうではない。

つまり教授の方法が日本と全く違ふ事である。

先づその比較的簡易な教科書を土台として、研究の方向を教師が指示して行く。

そして、この点は何々の本を見るといゝとか、何博士著の何書に委しく詳説してあると云ふやうに指し示す。

殊に驚く事は、雑誌に揚げられたものを指定する場合が随分ある。
日本で謂へば「中央公論」とか「太陽」とかの何月号に、何博士がかう云ふ論文を出してゐるから読んでみろと云ふやうなわけで、米国の雑誌は、日本の雑誌などよりも立派なものが多いからでもあるが、かうして大学の教課に、雑誌まで用ゐると云ふ雅量は、とても日本のプロフエッサーには真似の出来ない事である。


 かくて教師に示された参考書によつて、学生は各自に研究の歩を進めて行く。

そして後から、教師はその問題によつて、各自の学生に諮問する。

これはLectureに対するRecitationと云ふやりかたで、つまりある問題を、教師が説明する前に先づ学生自身をして自習せしめる。

そして教師の質問に対して答へさせる。

この場合に至つて、はじめて教師はその答に就て、そこは違ふとか、その説はかうだとか云ふ説明を加へて、そこにはじめてその教授自身の有する学説が、学生の頭脳に徹底するわけである。

ある時はまた口頭で答へさせる代りに、ある問題に就て学生の答案を書かせて、それを教師が見て批評する場合もある。

だから学生は、勢ひ多くの参考書を読まねばならぬ。

そして肝要な点を筆記しておく。

日本の学生の筆記は、教師の講義をそのまゝ写すのだが、之は学生自身が自発的に研究したのをノートするので、それを時々教師が見てくれて、甲はどの位よく読んでゐるとか、乙はどれだけ理解してゐるとか云ふ事が直ぐ分る。

 かう云ふわけで、学生はどうしても平素努めて勉強してゐなければ、レシテーションの時に恥をかゝねばならぬ。

面白いのは、土曜日曜は多く遊ぶので、いつでも月曜のレシテーションには失敗が多い事である。

とにかくかうして、ある教科書を土台として教師から研究の鍵を与へられ、自発的に参考書を渉猟して智識を肥し、最後にレシテーションに依て、教授の厳正なる批判と説明を受け、得たる智識を整理し統一するのが、米国の教授法である。

 之に反して日本のは、先づ教授が持つてゐるだけの智識を、なるべく広く吐き出して、謂はゞ多くの学説の受売りをなし、また学生はその受買的講義を、一つ残らず得やうとして筆記のペンを走らせる。

その結果は、研究と云ふよりも、講義の暗記が第一で、講義を離れては、自発的の研究も覚束ない有様である。

一言で云へば、日本が注入的であるに反し、米国は開放的である。

また日本が受動的なのに対して、米国は能動的だとも云へやう。

真の教授の目的を貫徹する上から云つて、優劣の比較は敢て贅するまでもないであらう。


アメリカ生活』(川口義久。太田書店。大正9年)p 14〜17
ブログなので読みやすいように改行を頻繁にした。
句読点などの誤植があるが、そのまま入力した。
漢字は、今の漢字に直した箇所がある。ブログは横書きなので漢数字を算用数字に直したところがある。


lecture:講義。講演。レクチャー。

recitation:何度も繰り返す体系的な訓練。暗唱。朗読。


明治時代末期〜大正時代前半の日本の某大学の教授方法と、アメリカ合衆国の大学の教授方法が比較されている。

日本の某大学の教授方法

マーシャルの「経済原論」などの難しい書籍を教科書として使い、教授は多くの学説を黒板などに筆記し、学生はそれを暗記する。


アメリカ合衆国の大学の教授方法
オハイオ州立大学・イェール大学の両方、または、いずれかの大学のことであると思われる

マーシャルの「経済原論」などの難しい書籍を教科書として使わず、学生に読むべき雑誌などを指定し、あらかじめ読ませ、学生に暗記しているかどうかをテストする。


レシテーションと書いてあるが、結局は暗記である。


これを読んだ限りでは、日本の某大学の教授方法の方が効率的である。

なお、マーシャルの「経済原論」は、当時、日本語訳が出版されていた。

たとえば
経済原論』(アルフレッド・マーシャル 著 東京専門学校出版部 明29.7 早稲田叢書
という日本語訳があった。

アルフレッド・マーシャル(英語: Alfred Marshall, 1842年7月26日 — 1924年7月13日)は、イギリスの経済学者。

新古典派の経済学を代表する研究者。

ケンブリッジ大学教授を務め、ケンブリッジ学派と呼ばれる学派を形成した。同大学の経済学科の独立にも尽力した。


マーシャルは、彼の時代において最も有力な経済学者の一人となった。

彼の主著『経済学原理』では需要と供給の理論、すなわち限界効用と生産費用の首尾一貫した理論を束ね合わせた。

この本は長い間、イギリスで最も良く使われる経済学の教科書となった。

↑『アルフレッド・マーシャル』のWikipedia


日本大学を卒業後、オハイオ州立大学で学び、修士号を取得。

さらにイェール大学大学院で学んで、法学博士の称号を得た。

帰国後、日本大学の幹事、講師、学監、理事、教授、学長を歴任した。

↑『川口 義久』のWikipedia


念のために断っておくが、難しい教科書を使っていれば、それだけでよいというものではない。

たとえば、公立中学校の英語の教科書は簡単であるが、この教科書の英文をノートに直訳で書き、その直訳をみながら教科書の英文を復元するという勉強を中学校でしてきた者は、英語が得意になっている。

したがって、難しい教科書を使って、あまり、身についていないよりは、簡単な教科書を徹底的に覚えた方がよいという面もある。

明治時代末期〜大正時代前半に、マーシャルの『経済原論』を、日本の某大学で使っていたのに、アメリカ合衆国のオハイオ州立大学・イェール大学で使っていなかった(使っていなかったのは、いずれか1つの大学であるのかもしれない)ことが興味深かったから書いただけである。

ちなみに、当時のハーバード大学・プリンストン大学は

1901年(明治34年)頃のプリンストン大学は楽な大学だった。
http://63164201.at.webry.info/201501/article_1.html


ウィルソンが総長の任に就いた頃のプリンストン大学は「米国第一の愉快なる田舎倶楽部」と綽名された程に、楽な学校であつた。

学生は多く米国富豪の子弟であつた。

彼等は此学園に於て真面目な学問をすると言うよりも、実業界に這入る前の準備的4年間を此の学園に楽まふと言ふ心掛けであつた。

と『ウイルソン』(福田吉蔵。民友社。大正8年)p 26〜31と書かれていることなどからもわかるように、楽な大学(いわゆるレジャーランド)だった。


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