戦後のバス事故(昭和43年まで)

昔は、バス事故により、大勢の人が死亡していた。


北海道新聞 16版 3面 昭和43年1968年)8月19日 月曜日

戦後のおもなバス事故

 戦後に起こったおもなバス事故は次の通り。

▽ 25年4月14日
 
= 神奈川県 横須賀市で 京浜急行の大型バスが車両火災、17人死亡、30人けが。


▽ 26年7月15日

= 静岡県 磐田郡 浦川町で 国鉄バスが天竜川に転落、30人が死亡。


▽ 同年 同月 26日

= 札幌市の五番館付近で、中央バスが積んであったフィルムから火を出して炎上。

 11人が死亡、29人が重軽傷。


▽ 同年 11月 3日

= 愛媛県 東宇和郡 員吹村で 国鉄定期バス火災、31人死亡、21人重軽傷。


▽ 29年 1月 26日

= 福井県 足羽郡 西生村でバス転落、10人死亡、34人重軽傷。


▽ 30年 5月 15日

= 岩手県 北上市で 花巻電鉄バスが川に転落、小学生 12人死亡、30人けが。


▽ 31年 1月 28日

= 愛媛県 喜多郡 長浜町で 伊予鉄道バスが海中に転落、10人死亡。


▽ 同年 9月 9日

= 福井県 武生市の国道で 名古屋観光のバスが転落、10人死亡、32人重軽傷。


▽ 34年1月 1日

= 和歌山県 高野町で 南海バスが転落、9人死亡、17人重軽傷。


▽ 35年 7月 24日

= 比叡山ドライブウエーで 全但交通観光バスが転落、28人死亡、18人重傷。


▽ 37年 10月 17日

= 桧山管内 熊石町 折戸で 山津波が起こり、函館バスが土砂ごと海中に押し流され、14人死亡、25人重軽傷。


▽ 39年 3月 22日

= 奈良県 大和高田市で 奈良交通の 定期バスが 用水池に 転落、9人死亡、69人けが。



▽ 40 年 3月 2日

= 和歌山県 新宮市の 国道で 熊野交通定期バスが 熊野川に転落、8人死亡、24人けが。



▽ 43年 5月 15日

= 山梨県 韮崎市の 国道バイパスで修学旅行バスに大型トラックが衝突

  中学生ら 6人死亡、20人けが。



↑ 改行・句読点・文字の大きさ・太さは読みやすいように改変した箇所がある。漢数字を算用数字に変更した箇所がある。

上記記事は、飛騨川バス転落事故(昭和43年〈1968年〉8月18日午前2時11分発生。集中豪雨)の際の新聞記事である。


飛騨川バス転落事故(ひだがわバスてんらくじこ)とは

1968年(昭和43年)8月18日、

岐阜県加茂郡白川町の国道41号、において

乗鞍岳へ向かっていた観光バス15台のうち、

岡崎観光自動車[1]所有の2台のバスが、

集中豪雨に伴う土砂崩れに巻き込まれて増水していた飛騨川に転落し、

乗員・乗客107名のうち104名が死亡した事故である。


日本のバス事故史上における最悪の事故となった。


岐阜地方気象台は

午前8時30分に大雨洪水雷雨注意報を発令していたが、

午後に入って小降りになり、

ところによっては晴れ間も見えてきたので、

レーダー観測とも照らし合わせて、午後5時15分に注意報を解除する


さらに午後7時前に放送された天気予報は、

岐阜県の天気は好転し翌朝は晴れるだろうと報じた。


気象台は午後8時に雷雨注意報[2]を発令し、

午後10時30分には大雨警報に切り替えたが、

郡上郡美並村[3]で1時間雨量114ミリ、白川町三川小学校で100ミリを越えるなど、

過去の記録を大きく上回る集中豪雨となった。


ツアーの主催者(奥様ジャーナル社長)は、

午後7時の予報を気象台に問い合わせたうえで、予定通りツアーを決行したが、

1時間後の8時に発令された注意報、さらには午後10時30分の警報は把握できなかった。


注意報が解除されたのは、

午後5時15分から午後8時までの2時間45分に過ぎなかった。



↑ 『飛騨川バス転落事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』


ゲリラ豪雨(ゲリラごうう)とは予測が困難な集中豪雨を指す語である。


↑ 『ゲリラ豪雨

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』


飛騨川バス転落事故

昭和43年〈1968年〉8月18日午前2時11分発生。集中豪雨)は

大事故であり

新聞報道が非常に多く、全部、載せるのは、入力がかなり面倒である。


そこで、今回は、下記記事のみ載せる。



北海道新聞 16版 2面 昭和43年1968年)8月19日 月曜日

道路の管理は万全だったか

後手に回った通報

パトカー、豪雨で立ち往生

 飛騨川の事故 ― この悲劇を、くい止めるのに、道路管理者に責任はなかったのかー。


 問題の国道41号線を管理するのは建設省の中部地方建設局


岐阜県 国道事務所 美濃加茂出張所。


同出張所では17日、

岐阜地方気象台の注意報、警報などに応じて、

夕方から職員 約20人を 全員 出動させ待機させた。


午後10時過ぎ、

道路パトロールカー2台を巡回に出したが、

しのつく雨で前進をはばまれ、

バス事故があったころは

現場から約10㌔下流の加茂郡 七宗村地内で

流出した土砂くずれのため

立ち往生する始末。


 一般に道路管理者として、危険が予想される場合には、

地元警察署と連絡をとり、スピード規制や道路閉鎖などの処置を取るが、

今回の場合は その連絡を取る間もなく

41号線の各地で土砂くずれがあった あと、

初めて白川町などの一部で通行禁止の措置をとったほど。


その時には、すでにバスは、その地点を通過。


身動きができなくなっていたわけだ。


 事故のあった現場付近の国道は39年に完成したが、

毎年1, 2回 集中豪雨のたびに土砂くずれが起きている


いわば“土砂くずれ”多発道路。


このため、

中部地建 岐阜 国道事務所は

美濃加茂 ― 下呂 間 約 70 ㌔のうち

約 10 ㌔を“土砂くずれ危険箇所”と認定、

ことしから3年がかりで工費 2億 1千万円を投じて

ガードフェンス、擁壁などの補強工作をすることに決め、

本年度は 5月から 工費 7500万円で 白川 ― 金山 間の うち

3500 ㍍の工事に 着手した。


 国の基準によると、

国道の山側のがけくずれが起こると予想されている雨量は、

1時間当たり 23 ㍉


中部地建では、

この基準で道路域との流量を計算、

山腹の保護などに当たっているという。


しかし、

今回の場合は

全く予想もされない

1時間 90 ㍉という激しい雨だった。



そのうえ、たまたまバスが停車していた地点は、

ふだんなら全く水のない小さな沢の直下で

沢と道路との境には

高さ 2 ㍍、幅 8 ㍍、厚さ 約 30 ㌢の

コンクリート擁護壁が造ってあったが、

鉄砲水と一緒になった土砂は

軽くこれを乗り越えてしまったらしい。


 一方、

パトロールは

車の上から“危険地帯”の

山の斜面を見上げるだけで、

道路から見えない部分についてはお手上げ。


斜面に明らかなキ裂がはいっていたり、

土砂が落ち始めていないかぎり、

このパトロールで

土砂くずれを事前に発見することはむずかしいのが現状という。


 こんどの事故について 同 工事事務所の坂上所長は

現場の状況を詳しく調べないと結論は出せないが


と前置きして

遭難者が出たのは残念だが、

現在の一般県道の改良事業では、

この場合、全工事が完成していても

こんどの事故を防ぐことはできなかった と思う。

道路建設当時の設計は万全を期しており、

その後、自然風化などによる補修工事もしているが、

記録的な集中豪雨 に対しては

治山工事を完全にする以外 キメ手はない。


と話している。


 いわば、不可抗力の事故だ というのである。


だが、

道路パトロールの徹底、気象情報のキャッチ、

それに伴う通行禁止の措置におくれをとっていなかったか。

その点で道路管理が万全であれば、この事故は避けられえたかもしれない。


↑ 改行・句読点・文字の大きさ・太さは読みやすいように改変した箇所がある。漢数字を算用数字に変更した箇所がある。


道路管理者』が、地元警察署と『連絡を取る間もなく』、『1時間 90 ㍉という激しい雨

当時、がけくずれが起こると予想されている雨量:1時間当たり 23 ㍉

という『記録的な集中豪雨』があり、

飛騨川バス転落事故が起こり、

おびただしい死者、重軽傷者が出たのである。

これは、いわゆるゲリラ豪雨である。


まだ

温暖化が進んでいなく

寒冷だったといわれている昭和43年に

このようなゲリラ豪雨が起こり

多数の死者が出たのである。



なお、交通事故で死亡する割合は、激減した。


↑ 『昭和29年頃の興味深い新聞記事など その7

http://supplementary.at.webry.info/200710/article_2.html

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